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妻有アートトリエンナーレへ行く その17

2006年09月30日 01:47

気を取り直して次に向かうはまたも廃校、旧真田小学校。
えらくくねった山道さんざ上って、螺旋階段みたいな村道を下りていく。おいおい、まるで迷路だな。帰り道わかるのかなってちょっと不安になる程にこの鉢集落の構造というか道が面白い。

あ、そうか、それで「鉢」なんだな?



たどり着いた廃校。

 

うーーんっ!ちょっと待てーい!

なんかちょっとね、微妙にイヤな空気してますよ?
ちょっとどころかほら2階ですよ。強烈に一カ所うめいてるんですけどー!(T_T)


あー、ここはあんまり気が進まないなぁ。。止めとこっかなぁ。
でも見たい絵があるんだよなぁ。。


なんていうんだろ、全体は朗らかな空気に包まれてるのは確か。なのにミョ~に悲しみが強いんだよね。

こりゃ意図的になにかやらかしてる作品があるんじゃないか?きっとそうだ、うん。
あのですね、良いのに混じってちょっとかわいそうな時間が閉じこめられてます。悪いけどこれは言い切ります(苦笑






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マジで、クルマ降りてすぐには近づけない。あーこういうのイヤなんだよな。
さすがに入るの躊躇ってしばらくグラウンドから眺めてみる。


うん、外は平穏かな。


ちょうど出てきたひと組のカップル。


「あ。。。。」(←ぎょっとする私の中の声)



彼女さん・・・
つ、連れてきちゃったね・・・(合掌&苦笑


あ、でも、ありがとうございます。(ってことになるわけです)




いやね、なにも私オカルト好きじゃあないから。
ってか、そんなんいっこも理解しない。笑い飛ばす価値すらない。

でもね、ここは私と同じ感じ方をした方も多いと思うよ?
特に女性はまず平常心でいられないはず。2階のあそこね、作者さんの悪ふざけじゃないといいんだけど。。



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妻有アートトリエンナーレへ行く その16

2006年09月29日 00:38

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旧三ツ山小学校には、いや、ここになにか居た。 ” 最後の教室 ” にも ” 名ケ山写真館 ” にも居たんスけどもね、なにが居たのかはまあ置いときましょう。


「見える人」なんスよ、私。妄想癖とかちょっとココおかしいよねぐらいに思っていただいて結構、こんなの誰にどう説明してみようもない。ってか、理解してもらおうとも思わない。ただ、中学3年の春に見えるようになった。あの時のことは今でもはっきり覚えているし、 その後にはそのせいでかなり苦しむ時期もあった。19歳の時にちょっとしたことがあって、そういうモロモロもある程度コントロールらしきことができるようになった。ま、そういうこと。それだけ。



” 最後の教室 ” の体育館での写真いっぱいにあるオーブ。写真というのはフィルムであれデジカメであれ、空気と湿度と塵と光のある地球上でレンズというものを使う以上は条件揃えば必ず起こる現象ですね。少なくとも、いわゆる心霊写真ではない。
心霊写真ではないけども、でも写真にはなにかが写るのもこれまた事実。光学現象で説明できないことも、ある。




あのページの写真は消して、データごと抹消すべきとのご指摘をいただいた。
おっしゃるところよーくわかります。あの写真そのものは私に言わせればまったく普通のオーブ現象でしかないものの、現場はそらもう大変な状況だったもの(苦笑
ご指摘くださったHさんもあそこで散々な目にあったそうで、まあそれは無理もない。あれだけのテンションとエネルギーだもの、そりゃあ彼らだって、、ねえ(笑

ただ、私はあの廃校も名ケ山写真館にも「悪いの」が居たとは思わない。むしろ暖かかった。優しかった。そんな時人間の身体は生理現象としてどうしても寒く感じたり痛くなったりするわけですけどもね。私は特にこの旧三ツ山小学校で見た(見えた?)「時間」達がとても暖かく、すごく幸せな気持ちになれた。なんかしたらルンルン気分で次の作品に向かったんだもん。


悪いのは、次回エントリあたりで出てきます(苦笑


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妻有アートトリエンナーレへ行く その15

2006年09月27日 00:52

カセットプラントに彩られた旧三ツ山小学校。ここはホントに気に入っちゃって、ぜひとも再訪したい。会期終了で作品が無かろうとたとえ鍵が掛かっていようと、忍び込んででももう一度あの学校の教室や廊下に身を置きたい。それほど凄いエネルギーが渦巻いていたとも思えないし一体なぜこうも惹かれるのか自分でも説明つかないのだが、とにかくあそこにはなにかがあるのだ。

昨日は山口 啓介さんの「光の庭」だけを紹介し、それがこの廃校のすべてであったように誤解されてしまいそうだが実はもうお二方の作品もあるのだ。あるどころか1階から入れば普通はそのまま1階から見て回るわけで、私もここで最初に見たのはこの作品。





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妻有アートトリエンナーレへ行く その14

2006年09月26日 00:37

筋を変えて再び山間部へ。めざすは三ツ山集落の廃校。

なんでもこの集落、なんとわずか5戸しかないそうな。冬なんてどんな暮らしぶりなんだろ。除雪車とか入ってきてくれるんだろうか。

実は私も、地区は違うがこういう山間部の元旅館だった民家を買わないかとのオファーがあるのだ。冬を別とすれば環境は最高に思える。旅館たって昔の街道の商人宿で、ちょっと大きい旧い民家そのもの。水回りはもちろんのこと地震の傷跡からなにから改修は必要なのだが長岡への通勤は1時間もかからないのがやけに現実的。
なにしろ静かで山が丸見えで敷地も庭も広く、伝統的な日本建築は眺めてるだけでも美しい。柱なんてもう、なんでこんなに太いん?ちゅうくらいのたくましさが嬉しい。家じゅう空気が動くから夏も嘘のように涼しい。縁側の見本のような立派な板張りのあのスペースで池と背景の山を眺めながらの夕涼みなんてのは実に贅沢な時間に思えて妄想ルンルンでもあるが。あるが、あるが。。。


やっぱりさ、そういう過疎地に住むって並大抵のものじゃあないんだろうことも容易に想像つくってもん。他の住民様との付き合い方や、そもそも受け入れてもらえるかどうかという問題。住んだら住んだで、自分のことだけで済まないだろうし。なにも隠れるようにひっそり暮らしたいわけじゃないのだが町に住むのとじゃあらゆる面で違うこと、特に地域・集落との絡みは相応の覚悟となにより私自身がそういうバイタリティを持ち合わせているものかどうか。。いやはや。



そんなことを意識させられたりもする山間の集落歩き。

旧三ツ山小学校。初めてなのに見たことあるようなツンとくる佇まい。折しも午前の晴天が嘘のように重い雲がたれ込めてきてなんともいえない雰囲気漂うわけです。









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妻有アートトリエンナーレへ行く その13

2006年09月20日 00:30

次のお目当ての作品は隣りの山だ。んが、隣りたって山伝いには行けないのでいったん平場へ下り筋を変えて、道程約10kmってところか。

これがいい。


” 次の作品へ行こう ”

ひとつの建物ん中に作品並んでるわけじゃないからね、集落単位、あっちこっち。その移動も、歩いていけるならまだいい。隣り、ひと声10kmっしょ?


こうして移動しながら、今見てきた作品、歩いてきた集落の余韻に浸り、整理し、いったんサラになって次の作品に突っ込んでいく。地図みて頭に入れて、あとは黄色い看板頼りにキョロキョロしながら同時に里の景色に包まれゆく。


「ほんとにこの道でいい?すげえ細いっスよ、マジですか」
「あ、間違えたァ~。まだ真っ直ぐだ♪」

「看板出てこないねぇ。。」
「あった!発見しましたァ!」



この感覚はとっても新鮮。すっごく楽しい。
これも大地の芸術祭ならではの美術鑑賞体験。まさにTour de Tsumari。
景色変わって、作品変わって。今日なんて天気も変わった。うーん、ダイナミック。


でもって、目的地への道中にノーマークの作品があったりする。

「ついでに寄ってくか?」


この「ついで」気分がまた良いのだ。
けして、せっかく来たんだからいっぱい見ていくのだ的貧乏くさい感覚じゃあない。

そんな「ついで」んちに印象深い作品があったりするから、これまたたまらん。
ホント面白いねえ、大地の芸術祭。











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妻有アートトリエンナーレへ行く その12

2006年09月18日 22:57

おおう。。ここにこんなのが出来たんだぁ。。



2年前の秋、そりゃ忘れようたって忘れようもない中越地震。自分んちも会社もぶっ壊れたけど、あの時、生きることの次に日々の優先事項は仕事だった。ホント、個人の生活は二の次。私自身がなんでも屋だが勤める会社がこれまたなんでも屋さんで、震災後は被害家屋の審査の日々。早く調べたって遅くたって支払われる金額なんて変わらない、だけど被害者心理としては一刻も早く調べてもらって、すがれるものにはなんだってすがりたいってこともわかる。
来る日も来る日も崩壊損壊した家に入って調べる。かわいそうだが、ちょっと精神に異常をきたしてしまった方とも接するのは、これはもうタフなことだった。


ここにも来た。十日町市下条地区。

酷かった。
長岡からここに来るまでも酷く、つーか、来ようにも道落ちちゃってどうしようもねえんだってのさ。四方が山、ほとんどの道が無くなった。つまり半孤立状態。


這うようにして辿り着いた私達が見た現実はもっと酷かった。ショックだった。
激震から1週間経ってなお学校や公的施設が避難所として機能しておらず、配給物資もなく、納屋やガレージに近所同士が寄り添うようにして、ただ、ただじっとしていた。
もっとも、半自給的な暮らしをしているからか、食料もゼロということはないようだったが。

あれだけテレビなどで大々的に報じられていた長岡や小千谷の中心部各避難所は、少なくとも物資に関しては余ってしかたない程に足りていた。なのに、山ひとつ挟んだこっちのこの現状ってどういうことだ。怒りが込み上げてどうしようもなかった。


あの時のことを思い、この里に久しぶりに来て少し息苦しくなる。

ある筋から、即座に長岡の余ってる物資をこちらへ送ってくれと依頼してみた。ところがそうはいかないという返事だった。また怒りが(苦笑
ニュースを見て送られた”善意”はニュースに映ってる「○○村」「△△市」へピンポイントのもので、勝手に他へは回すわけにいかない、と。たとえ余って腐りかけようと。私が運ぶからくれと言っても。
それが現場の生の回答だった。

このバカヤロウ。


有名になったもん勝ちなのか。

日本人ってそんなにアホなのか。






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妻有アートトリエンナーレへ行く その11

2006年09月14日 13:20

こへび隊


この大地の芸術祭は様々な人たちが参加している。アーティストと行政、企業だけで行われているわけではないのは1作品でも見た方なら誰でもすぐ理解できよう。土地に住まう方々が「協働」という精神で、個人であれ組織であれ、一緒に作品を作ったり土地の提供や管理をしたりと様々な面で融合しているのが大きな特徴である。それらのアピールも各メディアを通じて報じられているし、実際行けば確かに納得できる。特に3回目となる今回は、私の実感としても6年前とはそらもうえらい違いだ。

そういう試みと住民の理解によって一種独特の雰囲気が醸し出されているわけだが、もうひとつ、なんとしても忘れてはならない存在がボランティア。ここでは「こへび隊」という名のもと3万人ものメンバーがあらゆることをこなし夏のお祭りを支えているのだ。いや、3万人は私が勝手に出した数字だが(笑


詳しくはこちらをご覧いただきたい。

 → こへび隊2006


















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妻有アートトリエンナーレへ行く その10

2006年09月14日 00:20







この奥にもうひとつ作品があるとのこと。この際、ついでなので(笑)歩いて向かう。

ん?遺跡??
おお、なにやら大物っぽいぞ?




みしゃぐち?

包衣??



知らん言葉やなぁ。





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妻有アートトリエンナーレへ行く その9

2006年09月13日 00:28

この十日町は願入集落、人気アトラクションだからなのか(なんでやねん)最終日駆け込みだからなのか、やけに人が多い。今日はなに?お祭り?ってくらい。ま、確かにお祭りなんだけどもね、駐車場整理のボランティアさんも「今日は一番ですね。最後ですから。最後最後。うん最後なんで」といった調子。汗ふきふき、どこか感慨深げだ。
そうね、最後の日なんですものね。私も駆け込み客のクチなんで(笑


うぶすなの家とエリンギ池wの2カ所だけで友人知人知った顔にお客さん、都合9人に会った。なんぼ人多いったってこの偶然は異常としか。みんななにやってんのよ、他にやることないんスか。






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お祭りは大勢で楽しまなくっちゃと思いつつも少し鬱陶しい。私もそういう人数の内のひとりなので言いっこなしだが、なんとなく田舎の喧噪wを離れたくて反対方向の誰も歩いてない奥の道を進んでみる。
しばらく歩いて、いい加減上ったので反対側に下って、少し不安になったところであっち向いたら家が見えてきた。ん?ここも作品っぽい。なんだい、小山一周しちゃったのか。やれやれ、汗だくだよー



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妻有アートトリエンナーレへ行く その8

2006年09月12日 20:25

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この写真をご覧になったことのある方も多いのではないだろうか。

池に浮かぶエリンギ。
ひとによっては、お銚子。ボウリングのピン。ニョロニョロ。花。


なにに見えたかは人それぞれ。うん、アートなんちゅうのはそういうものだ。苦しゅうない。私はやっぱり最初はエリンギに見えたし、それから花になった。もし、もしもだ、アーティストが「これは○○なのだ」と説明したところで、ねえ?それって興醒めやん?


しかし、見た誰もが共通して感じること。

それはあるんじゃないかな。



静。


稟。






これは私の押し付けであろうか?(苦笑


いやいや、どう見てもどう受け止めても「静」だろう?
な?「静」でなきゃなんだよ、おい。

「無」か?

「無」じゃねえだろう、オマエ。なーにが「無」なんだよ。冗談じゃねえよ、こんなにあるじゃねえか。詰まってるじゃねえか。なんつうかな、こう、生命力みてえなのがさ。




もう一回よく見てみぃ。

目閉じてからもう一回、そう。そう。




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妻有アートトリエンナーレへ行く その7

2006年09月12日 13:04

終わらせないぞ。終わるな、このやろう。


どうしても9月10日で終了というのなら、ようし、しがみついてでもチカラずくでも。

とはいっても大地の掟にはかなわない。私が私の時間をなんとかするしかない。残すはあと1週間、なにがあろうと休みを取る。2日間。いや、せめて1日、丸ごと1日。

願わくば、晴れ。それも夏の芸術祭らしく暑ければ暑いほどうれしい。乗り損ねた夏を取り返したいのだ。
この期に及んでなにを贅沢なことをぬかすかって感じだが、果たして最終日9月10日・日曜日は朝から派手な猛暑。予想最高気温36℃の大フェーン現象!イエ~ス!!\(^o^)/






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妻有アートトリエンナーレへ行く その6

2006年09月11日 21:30

芸術祭?イベント?展覧会?

なんだろ、今、私が体験しているこの時間、この感触ってのは。
まるで旅をしているかのようであり夢でもみてるようにも思える。なにかとてつもなく大きなエネルギーを感じつつも、それは押し寄せてくるものではなく圧してくる種類のものでもない。ただ、どこかへ導かれているような気もするし、一方では、まるで宝探しのようにワクワクしながら自分で探しだそうという発熱感もある。



とにかく楽しくて、楽しくてしかたない。
同時に、なんで明日々々には終わろうってこの今になってようやく見に来てしまったのかという悔しさ情けなさ。
全部見るんだという収集的欲求ではない。もっと、もっとこの時間と空間に漂っていたい。大汗かいて這いずり回りたい。会期の最初、夏の始まりから訪ね回っていたかったな。夏を、里山の夏を丸ごとダイナミックに味わっておくべきだった。ちくしょう。。





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それなりに強い陽射しもどことなく和らいで、優しく、さびしい。
鮮やかな原色の大地にほんのり枯れ色。

終わっちゃうんだ。。待ってくれよ。なあ、おい。


去りゆく夏を追いかけるかのように、やり残した宿題に慌てる31日のように私の心は乱れバタつく。往生際の悪いことこの上ない。

ダメだ、また来る。
もっと見たいもん。もっと歩き回りたいもん。




夕暮れの松代。農舞台。


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妻有アートトリエンナーレへ行く その5

2006年09月10日 00:26

もう充分な気がしていたのも事実。300もの全てを見るつもりはさすがに最初からない。エントリに紹介はしてないけど他にも道中いろいろと見たし、もはや私はここにきてお腹いっぱい胸いっぱい。なにより、私自身のもうひとつの目的たる土地の人々とこの芸術祭の関わり方の現実を、それが確かなる結びつきで存在しているのだということをしっかり確認できたのだから。


作品それぞれからチカラ、エナジーを感じるのは確かにそう。だけどさ、主役ってのはこれら作品から導かれるこの土地、妻有の素晴らしさそのものじゃないかい?もうね、充分過ぎるくらい味わえて、腹ぺこなのにゲップ出るっちゅうねん(笑










そんな幸せ実感しつつ集落を歩く。ほどなく私の脳内、やおらこの写真に行き着いたんだな。先ほどの名ケ山写真館の、天井裏に瞬く秘密の空間。写真じゃとても表せない光線の戯れ、浮かび上がる、人。魂。



土地に生きる。

人はひとりじゃけっして生きられない。

輪廻。

記憶。

共有。




生まれたところも、育った環境も違うはずなのに、誰もが共有しあえる静かな記憶。



今日見てきたインスタレーションのどれもが、アプローチこそ違えどその核の部分はそういうことだった。と、思う。



あの屋根裏(↑写真)に像が結びついた時、私はなんだかカラダが軽くなった。

見に来てよかったな。



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妻有アートトリエンナーレへ行く その4

2006年09月09日 00:54

名ケ山写真館の静かな迫力にすっかりやられ、しばしぼんやりする。

いやあ、とんだトリップだった。背筋がゾッとするような冷気がずっと体じゅうにまとわりついていて、それでいながら強烈にフラッシュバックした懐景とともに目の前にある写真や民具の無色彩が、温度も音も無いはずのモノクロがなぜか柔らかく生温い感触っていう。ハイなんだかバッドなんだかもう、初めてハシシくらった時もこんな感じだったな。
う~ん、今に思えばあそこには何か居たね、いやマジで。





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こんな時、こうして視界いっぱい光と色彩に満ちあふれた風景ってのはありがたい。眩しい緑に色とりどりの花たち。この対比が、またまた強制的に、一気に正気に戻してくれる。ふう、現実さんただいま。ここに来てからというもの精神や感覚が翻弄されっぱなし。しかも振り幅デカくってちょっとフラフラだよ(苦笑


それでも、クルマへ戻る間は言葉が出なかった。歩きながらも、少し朦朧としながらも不埒なことを考えていた。

例えば、あのモノクロ写真達を和紙に刷り込むかして再現して障子にしたら・・・

あるいは、ツヤのない透明フィルムに転写できたとしたら・・・

土間だよ、土間。土間をこうして・・

できれば夜も見学出来るようにしたい。照明は・・・

あのな、俺は写真館ではなく・・・



おい待て、倉谷さんに対抗してどないすんねん!

フラフラが治まったらなーんかメラメラきたんだよなぁ。。。(汁



さてさて、お次は隣の中平集落。ここも楽しみ!

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妻有アートトリエンナーレへ行く その3

2006年09月07日 00:25

「お腹すいたねぇ。」
「食べるとこないねぇ。。」



歩いては見る、また歩いて見るを繰り返してさすがに腹の虫が鳴る。ところがここは日本最高級の田舎。気の利いたレストランどころか定食屋さんもコンビニもねえ。あるのは見渡す限りの田んぼと山。
ってタイミングにぽつりと蕎麦屋さんが現れたのだがあのですね、私は蕎麦アレルギーなんスよ!現代っ子ばんざ~い・・・(泣
(ここらは蕎麦の産地。小分けにしたへぎそばが有名ですな)



そんなんでランチは先送り。腹の虫は待ってくれても日没は待ってくれない。まだまだ見たい作品いっぱいあるのだ。向かうは十日町と松代の境界にある名ケ山集落。






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妻有アートトリエンナーレへ行く その2

2006年09月06日 00:36

長岡を出発したのが午前10時。十日町のキナーレの中をぐるっと見て回り、見たい作品を地図でチェックしてたらもう12時。目指す作品達はまんべんなく全エリアに散らばってる。。

んん、、

廃校作品とかは17時までだって??

十日町の小千谷寄りの山から攻めて川西、そこから川沿い走って中里と津南、川渡ってトンネル抜けて松代・松之山。集落・施設単位で10ケ所。
土地勘あるだけにこれはもうはっきりした。5時間では無理です。ただ走るだけでも2時間半コースやんかー!



見られるだけ見たい。しかし、時間を気にして見るってのもなんか違う。まあそのへんは走りながら考えよう。この十日町エリアだって町中に作品がいっぱいあって、散歩するだけでも面白そうなのだが着物が趣味の同行者はキナーレの着物展(さすがは着物の町。勉強になりました)で満足してる模様。よし、十日町の町却下(笑

(十日町はずっと昔から各住宅が軒先・玄関先にキレイな花を咲かせているとても素敵な町なのだ。ガーデニング?なにそれ?ってくらい自然な佇まい。新潟で、長岡の次に好きな町だ)



そんな感じでまずは一発目の山へ入ったのが前回エントリ。


山道のドライブがまず楽しい。クルマを投げ、作品を目指してのどかな集落を訪ねて歩くこの感覚が、爽やかな好天も手伝っていよいよ楽しい。芸術鑑賞っていう概念を超えたなんともダイナミックな体験。時間。


これこそが大地の芸術祭。




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妻有アートトリエンナーレへ行く

2006年09月05日 00:05








行かねば行かねばと思っているうちに9月。なまじっか隣町なだけにいつでも行けるとボヤボヤしてたら夏も終わってた。あーびっくり。


 → 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006


2000年・第1回の時は仕事がてらチョロチョロ見て回った。有料作品を訪ねなかったせいかはたまた手探りの第一回だったからなのか、率直なところ、ふーんたいしたことないなぁって印象しかなかった。なんというか、ただの町興し、住民迷惑感ありあり。たんぼ畑畦道に唐突なオブジェ突っ込んでアーティスト自己満足的レヴェルに公共事業型アートの意義や目指す姿がなんだかぼやけて見えた。
そんなんで期待感も薄く、2003年は行かず終い。

ところがその後、漏れ聞こえる現地の声はどうも私の印象とは違ってやけに好意的。「一緒に作って面白っしぇかった」「こんげ田んぼ見てなんがいいんだろっかねぇ、ウフ♪」「なんもねえところだんが来なさったしょ喜んでんだぁさ、こっちゃも嬉しいんがよ」「夏ぐれ賑やかでねえとのぉ、ゥホホ」



もちろん歓迎しないむきもあろうが、この土地で3年に1度開催される芸術祭は確実に住民の理解と、そして確かな脈動を打ち始めていると、立ち上がりからかれこれ7年を経てしっかりと実っているようなのだ。

これは行かねばなるまい。
作品はもちろん、アートだらけで数年過ごしている山里の人々にどんな変化があったのかをこの目で確かめねば。




そうそう、この”トリエンナーレ”って言葉、3年周期だからイタリア語で3の"トレ"、2年に1度だと「ふたつ=ビ」でビエンナーレと。な?へぇ~へぇ~やろ?


今思い付いたんだけどね(笑

案外と当たってたりして。


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