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山形昇格劇

2008年12月01日 22:34

おめでとう山形。J1昇格。
ありがとう。どういたしまして。


いやー、山形ですよ。山形。山形がJリーグなんだってよー
いやいや、J1に上がるんだって。Jリーグの1部。ふはー



初めて山形のサッカーを観たのは15年前、まだ名前はNEC山形で、JFL昇格を決めた時だった。そして翌年からは年に5試合程度、鶴岡だの山形市営だのと、これまたしょっぼいスタジアムへ温泉ドライブがてら足を運んでは隅っこでぼんやり眺めていたっけ。
でもって、東北電力がブランメル仙台と名乗りだし福島FCも昇格し、と東北の近県から全国リーグへ参戦しはじめた。時はまさにJリーグブーム。か、少しピーク超えた頃だ。新潟にも年に1~2度やってくるJリーグ様はまだまだチケットの入手も面倒な時代で、一方、クルマで乗り付けてフェンス乗り越えて弁当昼寝付きっていう、何するにもいたってお気楽なマイナーリーグになぜか私は惹かれてしまっていたのだ。
新潟ではアルビレオ新潟誕生前夜。カクテル光線に照らされてやけに華やかなJリーグは、これら身近に感じていた田舎サッカーがそこへ通じているとはなかなか実感しづらいものであった。



時は流れて、世紀末の98年。新潟もようやくのことで地域リーグを抜け出し、翌年のJ2創設を前に初めて全国リーグに参加した年だ。新潟などいわばお客様扱いのような最後の旧JFL。とにかく他の全てのチームが強くかっこよくみえた。しかしなんといっても、優勝した東京ガスや川崎ウンコターレ(←って呼ぶ人まだいる?)といった強豪以上にキラキラと輝いていたのが山形だった。高橋けんず、由紀彦、シジクレイ、ましもー、太田、マルキーニョ、庄司、若松、塩川、カツミ、、、マイナーリーグ的にはたまらないスーパーメンバーにもってきて監督はいつでもどこでもジャージの上を下にインのノブリンである。惜しくも3位に終わったが、なにがあっても怯まず攻め続ける躍動感に満ちあふれた山形サッカーと、呻くことをやめない山形念仏。

この年は私も本当によくサッカーを観に出かけた。新潟の試合はもちろんのこと、西が丘や等々力、仙台、甲府、大宮、都田、、、全国レベルだけどJリーグじゃないサッカーが面白くって眩しくって、そして山形がいる天童へは何度向かったことか。最終節のホームでまるで王者のように沼津のジャトコをチンチンにしてみせた一戦は本当に見事だった。小汚いルックスの選手を揃え文字通りだらしないサッカーに終始した万年準会員仙台との対比。都市としては仙台の子分のような山形。そんな山形でもここまでできるという達成感と来期J2への希望にスタジアムは満たされていたものだ。



今に思えばあれがピークであった。 (笑

その後の山形のJ2での振る舞いをあの日の天童に誰が想像出来ようものか。


しかし、監督ノブリンのみならず主力ごとごっそり大分に持って行かれた瞬間から悲劇は始まっていた。あの誇らしげに輝いていた山形はJ2のスタートと同時に跡形もなく崩壊してしまったのである。
それでも、その年の最終節に、ほぼ当確といっていいその憎き大分のJ1昇格を自らの手(足か?)で防いでみせたり、続く天皇杯ではJ1勢を次々と破った快進撃は強い山形復活を感じさせる見事な締め括りだった。

しかし、

そう、また「しかし」なのだ。山形としかしは切っても切れない強固なものとなるのもこの頃。つまりそう、2年目のJ2では弱体も本格化し最下位に終わった。。

しかし、



しかし、ここからの這い上がりぶりが山形の真骨頂といえよう。続く3年目、2001年。兄ちゃん柱谷監督を迎え勢いづいたこの年、特に夏以降無敗できた快進撃も勇ましく、いよいよ最終節のこの川崎戦に勝てばJ1昇格という、超満席で迎えた正念場の一戦を、しかし私の目の前で落としたわけだ。蔵王から吹き下ろす初冬の風が冷たかった。

スタジアムの全てが打ちひしがれる試合後に監督はこう言ってチームとファンを奮い立たせた。

「昇格のかかった日だけこんなに来たってそれは本物じゃない。山形はまだ上がる資格はない。毎試合来い!」



しかし、

しかし山形、また沈むのである。沈んだあげくの翌年には「モンデたよ山形」のセンセーショナルな見出しも懐かしいスイカップ事件に巻き込まれてしまう。監督もチームもファンもとんだ濡れ衣といった感じの騒ぎではあったがボインの魔力にさえひれ伏す惨状にあったのだ。


しかし、

しかしまたも浮上してくるのだから山形ってやつは憎めない。
2004年。新潟で大きな地震が起きた年。彼らはまたやってのけた。今度は、勝てば3位でJ1との入れ替え戦に進めるという大切な最終節、ホームの福岡戦で良いところなくあっさり負けた。観ていた私もがっくりだったがまわりの山形県民の急冷ぶりも印象的だった。

「やーっぱりダメなんだぁ。山形なんてダメなんだぁ。ふんぬっ」
「おめだじゃなにやってんだべ/$!@\s<・・・ああぁっ!」

山形弁でなじられる選手と監督。惨めさいっそう募る。



こうして浮沈を繰り返すキャラがそのま山形のカラーとして定着し、さらに、調子良く上位につけておきながら第4クールでの連敗失速芸も身に付けますます山形らしさを揺るぎないものとしていく。私のような気軽な観客はそれらも込みで笑いながら「山形だからねー」とモスバーガーぱくつきながら観戦していればよいのだが、ずっと辛抱強く応援し続けてきたファンの想いたるや。。

どれだけ弄ばれれば、どこまで辱めを受け続ければ・・・






いやいや、なにも恥ずべきことなどなにもない。山形は山形なのだ。






081130_1208~01


この目で見届けよう。


先週、ホームで決めておけばいいものをまたも本領発揮のドローで繰り越し。毎度付き合わされるこちらの身にもなってほしいものだ。もういい加減一発で決めてくれんか。


四国。愛媛。



遠いだろ。
だって去年行ったもの。遠かったもの。

また行くのかー

なにしに行くのだ。おれ。呼ばれてもいないのに。


081130_1041~01



前半、愛媛に先制を許した時は本当にずっこけた。ここまで来てまだそのネタやるのか。いいからもう勘弁してくれんか、と。
返すプレーですかさず同点としたときは、あまりに見事な自作自演ぶりに一本とられた気分もした。脱帽。そうなのだ、山形ってやつはここまで骨太に育っているのだ。自分たちのサッカー。これが。





ドタバタと締まらない後半。財前投入。
ガラリと雰囲気変わる。

相変わらず華のある選手だ。仙台であれほど輝いて、宿敵たる山形へやってきてなお。彼が入ってからの数十分間はなぜか仙台時代の黄色い財前とダブって、それはつまり勝利の女神。京都に舞ったあの日。


もういいよね。

いっぱい待ったもん。

順番的にも。

もういいよね。




応援し続けてきた山形の人々と、笑い続けてきた我々のこれまでの想いがまるで乗り移ったかのような最後の最後での逆転ゴール。

勝って、昇格。




見事にやってのけた。



歓喜に湧く青い方と、湿ったみかん色。
いらんヨソ者の私は、ただ妙な満足感に笑顔で席を立つ。




勝っての帰路は短いもの、というが遠いものは遠い。
四国淡路関西北陸長岡。


遠く長い道中がそのまま回想時間であった。初めて観た山形からの。



勝手にウルッときた。



やれやれ。


コメント

  1. reo | URL | -

    >高橋けんず
    (笑)

    >由紀彦、シジクレイ、ましもー
    このあたりは有名ですよね。

    >太田
    wakarimasen.

    >マルキーニョ、庄司、若松、塩川、カツミ
    >、、、マイナーリーグ的にはたまらないスーパーメンバーにもってきて監督はいつでもどこでもジャージの上を下にインのノブリンである。

    ここは私でもわかります。
    ああ、天童。車で6時間。もう走れないなきっと。ソバは6時間もかけて食べに行くもんじゃないし。
    ああ、「はやて」も「やまびこ」も乗ったから、今度は「つばさ」に乗れるんだ。わーい。

  2. みわ | URL | -

    けんずぅー、はすれー
    すずくれえ、もんどれー
    しょうずー、うでー、いげー


    行けー、走れー、戻れー、打てー

    声援ったって基本コレの繰り返しでしたからね。ラジコンじゃねえってんですよ(笑
    いやしかし98年の山形サッカーは面白かった。


    んで、間違い。2000年は最下位ではなく12チーム中11位でした。

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